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夏休み終了(旅行準備編)

早々と夏休みを使ってしまいました。

行ってきましたよ、マダガスカル。
今年こそは旅行記を書ききります。
去年行ったメキシコも途中で旅行記が終わってしまいました。
というのも、去年は夏休みが終わって以降、月100時間の残業に体が蝕まれ歩いていても気がつくと寝てしまい、転びそうになってようやく

「やばい、寝てた」

なんて生活に突入してしまったため旅行記を書き切れずにいました。
でも最近は残業時間も半分くらいなので何とかなりそうです。

マダガスカルに行くにあたって調べていて思うことがありました。
ツアーで行ってる人はネットを調べていているんだけど、バックパッカーのような旅行をしている人の旅行記はあんまり見付けられないし、バックパッカーの旅行記を見つけたところで世界一周をしていたりだとかアフリカ縦断をしていたりだとかで自分の旅行期間に見合った情報を調べきれない。

日本に帰ったらこれからマダガスカルに旅行に行こうと思う人に少しでも情報提供できればいいなと思って書こうと思いました。

さて、本題に戻ります。
今回、海外旅行に行くにあたって候補がいくつかありました。

第一候補がマリ。

マリ 国旗
マリ 場所


ニジェール川を船で下って世界遺産のトンブクトゥまで行く川下り。


トンブクトゥ

マリ共和国に流れるニジェール川沿いに位置する「トンブクトゥ」は、1988年、ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されていますが、砂漠化の自然の脅威にさらされているため、1990年には「危機遺産リスト」にも登録されています。

材質の深刻な悪化や構造およびあるいは装飾的特質の深刻な悪化などなどが危機遺産リストに登録されます。
登録されたからといって無くなってしまうわけではないんですが、前々から行かなくてはと思っていた場所ではありました。

実は僕は旅行で船に乗るのが大好きです。
ネットで調べていてほいみさんの旅行記を読んでとても惹かれたし憧れた。
こんな旅行が理想だった。

そして前々から知ってはいたのだがマリについては困ったことがちょこっとだけあった。

地球の歩き方のマリ版が出版されていない。
ロンリープラネットを買えばいいんだけど正直なところ日本で下調べをする段階で英語のガイドブックを読むのが面倒臭くてしょうがない。


第二候補はエチオピア。

国旗 エチオピア

LocationEthiopia.png

エチオピアを選んだ理由はエチオピアの旅行記の写真を見ていてとにかく子供の笑顔がどの人の旅行記を見ても良かったから。
ただそれだけの理由だった。
はっきり言って生きたい場所はどこも無かった。
それに加えてアフリカを旅行した人の感想の中で良くも悪くもアフリカの中で一番印象に残ったのはエチオピアだったという意見が多かった事も興味を引かれた。

この二つの候補が僕の中で鬩ぎあっていた。
何故アフリカなのかと言うと、本当の意味で僕はアフリカに行った事がなかった。
2年前にチュニジアに行ったが、そこはブラックアフリカではなかった。

さて、ブラックアフリカとは何なのか。


「ブラックアフリカ」は下の図のように主にサハラ砂漠以南の黒人がメインに居住する国々を指します。

ブラックアフリカ



黒人が多い地域です。アフリカの地図を見ていただければ判りますが、北部のエジプト、リビア、アルジェリア、モロッコ、チュニジアはアラブ人がメインの国です(実際には、黒人も住んでいないわけではありませんが)。その他の民族にはベルベル人などが挙げられます。
アラブ人の一般的にわかりやすい人は皆さんご存知のウサーマ・ビン・ラーディンなどが挙げられます。

ラディン アラブ人


ベルベル人で一般的に知られている人ではサッカー選手のジダンです。

ジダン ベルベル人

写真からも解るようにチュニジアはイメージとしてあるアフリカのイメージでは無いのです。
もっと見た目にもアフリカを感じられる所に行きたいと常々思っていました。


こんな言葉があります。

【一度アフリカの水を飲んだ者は再びアフリカに帰る】

そう僕はもう一度アフリカに行きたいと思っていたのです。
でもこの言葉が指すアフリカは多分ブラックアフリカでチュニジアでもミネラルウォーターしか飲まなかった僕が感じる言葉では無いのは承知の上でアフリカへの思いは募っていました。

しかし、よくよく調べてみると1週間から10日くらいの旅行ではマリに行くのは日程としてどうやら現実的ではないと解りました。
エチオピアはというと写真で見る子供たちの笑顔が良かったということだけで行きたい場所はこれといって無い。
どうしたものかと考えた結果、やれることから考えてとりあえず黄熱病の注射を受けに行きました。

アフリカなどの黄熱病が流行地域や流行可能地域では入国に際して公的機関発行による国際予防接種証明書(イエローカード)を求められ、これを提示しないと以下の国には入国できない。

ガーナ
ベナン
ブルキナファソ
カメルーン
中央アフリカ
コンゴ共和国
コートジボワール
チャド
リベリア
マリ
モーリタニア
ニジェール
ルワンダ
トーゴ
サントメ・プリンシペ
コンゴ民主共和国(旧ザイール)
ガボン

そして、イエローカードが必要なくても黄熱病常時国としては以下のような国が挙げられる。

タンザニア
ブルンジ
ルワンダ
ケニア
ウガンダ
ソマリア
エチオピア
コンゴ共和0国
ガボン
ザンビア
赤道ギニア
中央アフリカ
チャド
ニジェール
ベナン
トーゴ
コートジボワール
マリ
セネガル
ギニアビサウ
シェラレオネ
スーダン
ガンビア
ギニア
ブルキナファソ
ガーナ
ナイジェリア
カメルーン
サントメ・プリンシペ
アンゴラ
コンゴ民主共和国(旧ザイール)
リベリア


とりあえず旅行先は決まっていなくてもアフリカに行くことは決まっているんだから予防接種だけはしとこうって事です。
黄熱病の予防接種は検閲所や病院などで受けることができます。
費用は1万円くらい。
そして注射をすると下の写真のような証明書を貰えます。


イエローカード 黄熱病

有効期間は接種後10日目から10年間。
これで突然旅行先をアフリカのどこかの国に決めても、

「あー、イエローカード持ってないから行けないや。今からじゃ間に合うか解んないし・・・。」

なんて事が無くなるのです。

ただ問題もあります。
黄熱病予防接種の副作用に、接種後5-10日頃、頭痛、筋肉痛、微熱が25%以下の人に出るというデータなどもあります。

僕が注射をした病院では、10%の確立で副作用が出るとのことでした。

結構高くない!?

その確立・・・。

そして、注射を受ける際に書いた問診表には渡航先の記入欄がありました。
正直言って決まってないんだけど、とりあえずマリに1週間の旅行と書いておきました。

そして、注射をする際に医師とこんな会話を交わしました。


医「普段から旅行はされるんですか?」

僕「まあ、年に一回くらいですけど・・・。」

医「バックパッカーなんですか?」

僕「うーん、まあそんなところなんですかねぇ。」

医「じゃあ、宿とかも特に決めていかないで旅行するような感じですね。」

僕「まぁ、そうですねぇ。」

医「何故、マリなんですか?」

僕「ええと、ただまぁ、アフリカっぽいところといった感じの場所に行きたいなぁと思いまして・・・。」

医「そうですか。えー、ではですね、旅行から帰ってきた際に熱が出た場合にはまずマラリアだと思って受診をしてください。あの辺りは衛生面も非常に悪いですしマラリアに罹りやすいですからね。それと注射の副作用が出た場合も受診してください。普通の薬と比べると副作用が出やすいので。」

えーと、スタート地点にも立たないうちにゴールテープだけはしっかりと握り締めて待ってもらっているこの感じは何だろう。
しかもそのゴールは思っている以上になんて悪趣味に派手なんだ。


とりあえず注射をして家に帰宅。
だが、実は心配なことが一つあった。

僕は、寝不足続きで体がダルいのに注射を受けてしまっていた。

メキシコ2日目 その壱

AM6:35

メキシコシティーからオアハカ行きの飛行機に搭乗し、オアハカに到着。
空港で乗りあいタクシーのコレクティーボに乗るためにカウンターで人が集まるのを待ってみたが、一人もタクシーに乗る人がいない。
それどころか、空港に人があまりいない。

海外に熱烈なファンが多い僕は、今までの旅行では列車の駅や空港に着くや否や人垣が出来ることが常だった。


「ヘイ、どこまで行きたいんだ?」

「宿は決まっているか?とても安くて良い宿を紹介するぜ。」

「私と友達になりませんか?私はあなたの好きなみやげ物を安く紹介します。」

といった具合に熱烈な歓迎と熱視線を受けるのだ。
特にインドなどでは、自分がにしおかすみこよりも人気者であることを体内に呑み込む事ができる。

ちなみにここでの「熱視線」は、1985年1月にリリースされた安全地帯の8枚目のシングルではもちろんない。


とりあえず、オアハカの空港では乗り合いタクシーに乗る事を諦め、普通のタクシーに乗り込んで、オアハカの街中に到着。

オアハカ 町並み


とりあえず、ドミトリーのあるパウリナ・ホステルを目指す。
ドミ200ペソ=1400円くらいと若干ドミにしては割高感があるが立地的に便利そうなので1泊してからとりあえず考えればいい。
僕の知っているドミの中では最高金額です。

部屋はこちら。

パウリナ・ホステル

悪夢にうなされた夜に飛び起きると2段ベットの上にしこたま頭を打ち付けます。

次元 「どっちにつく?」

ルパン 「オンナ!」

次元 「だろうな!」 

って感じのベッド。


ロッカーもあるし、まぁねぇといった感じ。
とりあえずベットのところに電球もあるし、本も読めるし、まぁとりあえずはこれでもいいか、といった感じ。

屋上に駆け上がり、オアハカの町並みを観察。
標高1500mくらいで肌寒い。
P1000008_convert_20100706005406.jpg

これが、コロニアル建築。

屋上で一服くした後で、オアハカの町をズイズイ歩き、

オアハカ 道路


モンテ・アルバン行きのバス停を探す。

フラフラと歩いていると、モンテアルバンの写真を持ったお姉さんに話しかけられ、往復のバスチケットを買う。
停留所にスペイン語で連れて行かれ、メキシコ初の遺跡に30分ほどバスに揺られて到着。


P1000012_convert_20100807015907.jpg

いや、それにしても寒い。
前を歩いているメキシコ人はチューブトップなんて着てるけど、この気温でそんな格好をするのは美容院に行って

「ジャイアンみたいな髪型にしてください。」

と、注文するくらい無理がある。
とりあえず1枚だけ持ってきていた長袖シャツを羽織って遺跡を見て回る。

モンテアルバン

モンテ・アルバンは(500年~750年)には、人口2万5000人に達したと考えられ、中央アメリカで最も高度な文化水準を誇っていたらしい。


遺跡  階段

階段を上りきると、

P1000016_convert_20100706005604.jpg

メキシコの遺跡って感じになってきた。

モンテ=アルバン


そして、細かい模様入りの遺跡を登って・・・

階段


高台を目指す

メキシコの遺跡




・・・・・・と、















オアハカの遺跡


メキシコの遺跡に来たぞーーーー!!

って感じの景色が広がる。
メキシコに来たという実感が体内の中にしばらく忘れていた恋愛感情のように沸いてくる。
そうだ、これだ。
この青々としている地面の上に建つ遺跡。
これが見たくてメキシコまで来たんだ。

村上春樹風に言うと、春の熊くらい好きだ。

この風景を見たらさすがに加藤ミリヤですら物憂げな表情をしないだろう。

メキシコ 緑

ただただ素晴らしい。

メヒコ

あらゆるものは通り過ぎる
誰にもそれを捉えることはできない 。
と、村上春樹の小説の中に書いてあったが、通り過ぎていかないかもしれないものもあるのかもしれない。

メヒコ

「あしたのぼくにやらせよう。」と、のび太的な考えはこの風景を見ていると出てこない。

P1000029_convert_20100706005958_convert_20100807004359.jpg


メキシコ旅行 一日目

さて、メキシコ旅行記を書きたいと思います。

7/19 僕の乗る飛行機は17:10成田発でメキシコシティー19:05着。
時計的には2時間でメキシコに着きますが、日本とメキシコの時差は15時間。
つまり、17時間をかけての移動です。

静かな夜道を歩いていて、古い家の近くを通ると、いきなり

「うわん」

という声で驚かされたような衝撃的な足し算。

この事実を飛行機の中で知りました、僕は。

何故かというと、今回の旅行先のメキシコは僕の中で第5、6候補だったのです。

夏休みを取るにあたり、とりあえず押さえられる場所をまず押さえました。

まあ、休みさえ取れれば後は航空券を買えばいいだけだし、俺ってバックパッカーなワケだから後は現地で全部決めれば大丈夫でしょ。

と、高を括っていたんです。

だがしかし、世の中そんなにうまくはいかない。

その航空券が取れない。

アマゾン河を下る事を夢見たブラジルは30万のチケットしかない。
パキスタンにある桃源郷フンザには15万くらいでいけるチケットはあるんだけど、トランジットの関係で何故か移動時間がブラジルに行くのか変わらない。


オカバンゴ・デルタをボートに乗って下るのも考えたが、宿の予約はギッチリと埋まっているらしく断念。

絶対に4世紀くらいの頃から移動が大好きなドイツ人がワールドカップに事欠けて移動しているせいだと思ったが、未来デパートにこの危機的状況を打開できる商品を注文したかったが、手元にカタログが無かったので断念するしかなかった。

よし、じゃあ、前から行ってみたかったテオティワカンを見てみよう。

ってなワケです。

ただ、一つ不安なことがあった。

成田空港に向かう成田エクスプレスに降りた瞬間に6年間愛用していたバックパックの肩紐の長さを調整するプラスチックが割れて砕け散ったのだ。
このプラスチックがないとブラブラになってしまうため、背負うことができない。

これ以上無いくらい幸先が悪い。

なんとか応急処置をしてバックパックは背負えるようになったが、本気で今回の旅行が心配になった。


面倒で先延ばしにしていた今後の予定を飛行機の中で地球の歩き方を熟読し、とりあえず1泊目の宿を決定。
2日目にオアハカに移動し、そこで2泊。
その後のことはその時に考えよう。

旅行をする上で一番面倒なのは計画を立てることだと僕は思っている。
航空券だけ取って予定をキチッキチッと立てていたらツアーと何も変わらないし、面白くもなんとも無い。

それもあって、こうやって予定を先延ばしにしていくワケです。
実際のところは予定を立てるのが面倒なだけなんだけど。


そして17時間後にメキシコシティーに到着。
到着の手続きや両替等もあって、現在20時。

外に出ると雨が降っている。
風まで吹いている。
しかもかなり強めの。


こんな時間から、しかも雨が降っている日に限って宿は見つからない。
さらにこんな異国で雨にも負けて、風にも負けたりでもしたら宮沢賢治に合わせる顔が無い。


そんなの知ったこっちゃないんだなぁ   

みつを



と、耳の奥でこだまがしたような気がしたが、気を取り直して空港でタクシーのチケットを買って安宿がわりと固まっている場所をタクシーの運転手に告げる。


ところが、予想以上に英語が通じない。

運「スペイン語は喋れるか?」

僕「英語だけだ。」

地図とホテル名を指差してその方向に向かってもらう。
納得したような素振りを見せて出発。


出発すると運転手は携帯でしきりに話をしている。

すると、タクシーの運転手は実は全く理解していなかったらしく携帯電話を差し出してくる。

運 「俺の友達は英語がわかるからこいつと話をしてくれ。」

いや、英語もそんなに喋れないんだけどまぁいいか。
拙い英語で自分の泊まりたい宿の説明をするとどうやら運転手も納得したらしく、笑顔で運転をしだした。


宿近辺に着くと、一生懸命に僕が泊まりたいと言った宿を通行人に聞いている。
しばらく、聞き込みをした後で路地裏をグルグルと回っていると運転手の顔に笑みが浮かんだ。

運 「ここなんじゃないか?」

地球の歩き方の写真と見比べてみると、間違いなさそうだ。

満足そうに手を振って運転手は去っていく。

この時思った。

メキシコって実は良い国なんじゃないか。

地球の歩き方なんかを読んでいると、やたらタクシー強盗の話が載っているけどそんな感じも人からも街の雰囲気からもしないしな。
東南アジアなんかで同じように走った日には、余分に走った代と俺は頑張った代を請求されてしまう。
そんな時僕は運転席を蹴っ飛ばして相手を威嚇したり、地面や相手の顔をめがけて金を投げつける。

さらにインドに至ると、着いた後に当初の金額が値上げされた上に頑張った代を請求されるなんてこともある。
運転手と揉めていると人が集まってきて双方の話を聞いた後で、

お前が悪い

なんてなる事すらあり得るのだ。

「裏切りは、女のアクセサリーみたいなもんなんだよ。」

と、ルパンのように夕日を見ながら車を運転しているような状態にはなり得ないのだ。
心理状態としては、

「バッカモーン!そいつがルパンだ。」

と青森の潮来よりも力強く銭形が自分に憑依してしまうのだ。


とりあえず、レセプションに行って、部屋が空いているか確認をすると、空いているらしい。
こんな雨の中宿を求めてウロウロするのだけは避けたかったのでかなり嬉しかった。

メキシコシティーのフリモントという宿。
シングルルーム210ペソを払い、とりあえずチェックイン

フリモント メキシコシティー

日本円で1500円くらい。


こんなに本格的に降ってたらさすがに飯を食う場所を探すのも大変だな。

とりあえず、シャワーを浴びて近くのコンビニに晩飯を買いに行く。

ビールとブリトーを買ってワールドカップのダイジェストを見る。

一日目 晩御飯 ブリトー コンビニ




明日は、早朝からオアハカに移動だ。



帰国

報告が遅れましたが、日曜に無事に帰国しました。

時間があるときにまとめて旅行記を書きます。

今回の旅行で訪れたオアハカ
オアハカ 地震

で、6月30日に地震がありました。

あと一週間旅行がずれてたら遭遇してました。

旅行運は強いらしく、インドに行った何週間後には爆弾テロがデリーであった。
普通にフラフラ歩いてた場所だったから、時期がズレてたら吹っ飛んでたかもしれなかったし、記憶に新しいミャンマーの暴動では日本人カメラマンが撃ち殺された場所もウロウロ歩いてた場所でした。


メキシコ 面

まあ、とにかく帰国したわけです。
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