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旅立ちますよ、メキシコに

久しぶりに書きます。
ピーターです。

調べてみると前に書いたのが2007年だったんです。
どれだけサボっていたのやら。

2007年はタイとラオスの旅行記を気が向いたら書きます。
・・・と、メッセージを残したまま完全な休筆状態になっていました。

mixiのアルバムにはタイ、ラオスの旅行の写真をアップし、その後に行ったインド、チュニジアの写真もアップしました。


興味のある人はhttp://mixi.jp/show_profile.pl?id=1561408&from=naviからマイミク申請してみてください。

さて、何故久しぶりに書こうかと思ったかといいいますと、夏休みの旅行の計画を立てたからです。
本当はアマゾンに行くつもりだったんだけど、チケットが取れず、パキスタンに行こうかと思いきや目ぼしいチケットは売り切れでパキスタンに行くのが乗り換えの関係で、ブラジルに行くのよりも時間がかかる始末。

そこで、前から行ってみたかったテオティワカンを訪れるためにメキシコ行きを決定しました。


ここで振り返ってみます。
僕は今までにバックパッカーとして何カ国かを回ってみました。
カンボジア、ミャンマー、タイ、ラオス、インド、チュニジア。

たったそんだけ行ったくらいでバックパッカーとか言ってんじゃねーよなんて言う人もいるかも知れませんが実際はこんなもんです。

【カンボジア】

初めて一人で行った国。そのころまだ若かった僕は週末に友達と遊ぶ予定を入れることに一生懸命でした。友達が忙しく、遊ぶ予定が何週間か入れられなくなった僕は『日本にいる意味ねーよ』と顎が地面と水平になるくらい大空を見上げ、こう一人呟いたのです。

じゃあ、海外に行っちゃえばいいんだ。

当時、鴨志田穣の本を読み漁っていた僕はあっさりとこう思いました。

鴨志田青年はタイへの片道切符をもって英語もわからない状態でカメラマンになるべく単身タイに乗り込んでいました。
タイ行きの飛行機の隣に座っていたタイ人の家に居候をすることから彼のジャーナーリストとしての人生が始まっていきます。

この話を読んでいた僕としては、別に住み着くわけでもないし一週間かそこらの旅行くらい一人でもどうにかなるだろ。
となんとなく思い、アンコールワットを見てみたかったのもあり、カンボジア行きを直感で決めました。


ただし、出発前日の夜にエラい事、後悔しました。
俺って、英語の授業と音楽の歌詞以外で英語喋ったこと無いんだけどどうするんだろう。



【ミャンマー】

一人旅行に味を占めた僕は、次なる目的地を世界三大仏教遺跡のあるミャンマーに定めました。

自転車で遺跡を見て回り、遺跡の上でタバコを吹かしたり、地元の猟師の船に乗ってのんびりと揺られる。
ブラックマーケットで両替をして油っこいミャンマーカレーを食べる。


【ラオス】
バックパッカーがまた訪れたい国の上位に常に挙がる国。

とにかくのんびりとした国
物売りも一回断ればあっさりとあきらめてしまう始末。

桃源郷とも言われるバンビエンではタイヤのチューブに浮かんでひたすら8kmほど川を下る
何にもすることが無いのでバイクを借りてその辺をブラブラする。



【インド】
バックパッカーと名乗るには一度は行かないと行けないと思い旅立つ。

インド人がとにかくうっとおしい。
仲良く慣れたと思った次の瞬間にもあっさりと鬼のような形相で商売を始める。

バラナシでは常に牛のウンコが足についていたし、頭にきてオートリキシャーから何回か飛び降りた。

運「僕のお勧めの観光コースがあるからそこもついでに行こう。」

僕「行かねーって言ってるだろ!!」

運「大丈夫、同じ値段。」

僕「行かねーよ!!」

運「大丈夫」

リキシャーは目的地と違う方向に走り出す。

ゴン、ゴン、ゴン、ゴン
運転席を何度を蹴っ飛ばす。

ただ、これくらいでは相手もへこたれない。

僕「俺の言った場所に行けよ。」

運「僕を信用して。」

僕「ふざけんな!!」


ズザーーー


オートリキシャーから飛び降りた僕にうろたえる運転手。

運「わかったから、飛び降りたりしないでくれ。お前の行きたい場所に行こう。」

目的地に着くと予想通り値段が上がっている。
乗る前に交渉していた料金を運転手に投げつけて、睨みつけた上でその場を立ち去る。

★注 すべての場合でこうではありません。


その他にも、ホットシャワーが出ると言われた宿で水シャワーが出て両膝に手を突き頭をガックリとうな垂れていた時に足元にウンコを発見したこともありました。

インドスタイルに習い、左手でウンチョスも拭きました。
手で拭いたことの無い僕は確認のために左手を見てみました。


オーーーーイ、手にウンコがついてるぞーーーー。


オシリーナを綺麗にするために拭いた左手にはウンチョリーナが付いている。
綺麗にするための行為のはずが、結果としては体の2ヶ所に付いているわけです。
しかもセパレートで。


【チュニジア】
砂漠の民は顔に布を巻いてラクダに乗っている。
生活の知恵としてそういった感じなんだろうけど、本当に顔を布で巻かないと砂漠は辛いんだろうか。
是非、試してみなくては。
といった感じで決定。

事前でネットで調べても、現地で探しても朝方、夕方の移動といったモノしかない。(砂漠で4泊以上とかだったらあったけど時間の都合上無理でした。)

そんなぬるい事をするためにチュニジアまで来たんじゃないんだけどなぁー、と思いながら参加してみた現地手配の1泊2日のラクダツアー。

アーーーっと言う間にお腹が一杯に・・・。

ケツが痛い。
日差しが強い。

日に焼けすぎてとにかく皮膚が痛い。
ガイドにはフランス語しか通じない。

「ちょっと待って。日焼け止め塗り直したいからラクダ止めて。」

を、ヂェスチャーで伝えるのも面倒。




さて、まだまだ書こうかと思っていましたが、なにぶん明日出発なのでこの辺にしときます。


帰国

無事、タイ、ラオスより帰国しました。
タイが右の本格派なら、ラオスは大きく割れる縦のカーブが持ち球で試合後にもアイシングをしない様な国でした。
ビエンチャン 門
ラオスはのーんびりと過ごせました。
キーホルダー ラオス
タイでは空気の悪さに喉が痛くなりました。
ビエンチャン タートルアン

帰国時の日本の入国審査では恒例の念入なボディーチェックをされ、鞄の中をまさぐられ、灰皿の中身を調べられました。
あらぬ疑いをかけられないために、帰国前に無精髭を剃ったのにきゅうりのへたくらいまるで意味がありませんでした。


気が向いたときに、旅行記を書こうかと思います。

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旅行

またもや、ご無沙汰でした。
職場も変わり半年以上経ちましたが、ようやく慣れてきました。

わかりやすく言うと、鶏肉は食べやすい大きさに、たまねぎ、にんにく、しょうがはみじん切りにし、トマトはあらみじんに切る。
鍋を強火にかけサラダ油を熱し、にんにくの香ばしい香りが出るまでよく炒め、パプリカ・ターメリック・カイエン・塩を加えて炒める生活を送っていました。

さて、冗談はチキンカレーだけにしておいて。

未完のミャンマー旅行記を完成させようかとも思いましたが、悪魔の汗みたいに濃い日々を送っているうちにブログから遠ざかっていました。
その間、水木しげるタッチの絵が描けるようなるために【のんのんばあとオレ】を熟読して鼻息の荒い自画像を描いてみたり、葛飾北斎の画集を眺めてみたり、猛烈に文学的な小説が書いてみたくなり資料を集めたり、リンカーンの出身はイリノイ州だったなぁと思い返してみたりしていました。
競争馬なら薬殺されているところでしょう。

そんなこんなの毎日を送っているうちに、職場では夏休み取りなさいとの事になりました。
ちょうど良かった。
こんな、ロシア民謡『一週間』のような生活を送っているわけにはいかない。

そこで、タイとラオスに行く事にした。
メインはラオス。
理由は、ラオスには何にも無さそうだから。
先制点のホームを踏みたいから。

メコン川を眺めながら、煙草を吸ったりビールを飲みたい。
思いっきり日の光を浴びたい。
干しいたけのビタミンD含有量は、生のものの10倍あるそうだが、もし自分が日の光を目一杯浴びた日には、一家の団欒である夕食で黒光りしたふくらはぎを割り箸で食べ盛りの子供に突かれる気がするから。

さて、なんの話をしていたのかわからなくなってきましたが僕は回送電車の話をしていたような気がします。
違いますか、そうですか。

ラオスにはバンコクから寝台列車で10~12時間くらいのって国境を陸路越えする予定。
長距離バスだとシンドそうだし、寝台列車で横になって移動したいし。
旅行は9/1から9/9までの9日。
そろそろインターネットでバンコク発の鉄道のチケットを取っておかなければならない。

前もって調べてあったサイトで鉄道チケットを予約しようとすると、

申し訳ございませんが、9月10日まで列車乗車券の予約業務をお休みとさせていただいております。

の文字が目に飛び込んできた。

プレイボーーーール

試合の始まりを告げる声は南アフリカの夜明けくらい遠そうな気がした。

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婆ちゃん

またまた、ご無沙汰してしまいました。

仕事や引越し、その他諸々に追われて全く更新できませんでした。

さて、このブログにも登場した事がある婆ちゃんがこの度永眠しました。
享年83歳。

実家に帰り、線香をあげる。
棺に入った婆ちゃんはミクロマンと池乃めだかを足して3で割ったくらい小さくなっていた。
祭壇の周りには葬式特有の色彩を放った豪華な花が飾られている。
花摘みに行くことなんて無かった婆ちゃんにとっては人生で一番花に囲まれた瞬間だったかもしれない。

通夜を終え、親戚で酒宴が始まると婆ちゃんの思い出話が始まった。

母 「こんなに花に囲まれてるけどねぇ、お祖父ちゃんの葬式の時なんか花が邪魔で部屋が狭いって言って蹴っ飛ばして倒しちゃって大変だったのよ。」

いったい何を考えていたんだろう。
祖父ちゃんを弔う気持ちで一杯の花を邪魔だという理由だけで蹴飛ばす。
掟破りの逆サソリだって、まだ掟を守れてる気がする。

叔母「お婆ちゃんかなり偏食だったでしょ。ご飯ちゃんと食べてたの?」

母 「煙草とコーヒーとお菓子だけ。」

叔母「じゃあ、あるある大辞典なんかでやってる体に良い食べ物なんてあてにならないわねぇ。」

ジャンクフードやインスタント食品ばかり食べているとキレやすくなるなんて報告もあるけど、小林亜星や寺内貫太郎的な婆ちゃんはまさにそれだったのではないかと思った。 
カリフラワーのゆで卵和えあたりが大好物だったらもっと温和な人生を送っていたんではなかろか。

ただハードボイルドとは、元来は「固ゆで卵」のことなのでカリフラワーのゆで卵和えでは、やしきたかじんとポットくらいかわりが無かったかもしれない。

そんな婆ちゃんが居たせいもあり、実家に住んでいた頃の僕は友達を自分の家に呼んで遊ぶという事があまり出来なかった。
家のキャアキャアとはしゃぎ回った日には、我が家の活火山は簡単に大噴火を始めてしまうからだ。

当時、中学生だった僕は友達と家の中で大騒ぎをした結果、婆ちゃんはイライラを募らせ祖父ちゃんに八つ当たりをした挙句、離婚騒動にまで発展するという後方宙返りをやってのけてしまった。

婆 「あんたがロクでもないせいで私が苦労するのよ!!」

爺 「俺は関係ねえだろ。」

婆 「バタバタバタバタウルサイのよ!! 」

爺 「普通だろーが。」

婆 「もう、離婚よ!!」

皿や鍋が全盛期の江川よりも真剣に投げられているの音が聞こえてくる。
突然、パラレルワールドに迷い込んでしまった友達はすっかり縮み上がってしまい、

友達 「ねぇ、なんか離婚するって怒ってるけど大丈夫かなぁ。」

と、コラーゲンみたいに震えていたが

僕  「うーん、大丈夫。いつもの事だから。」

と、根拠もなく自信たっぷりに答えていた。



名勝負数え唄は幾度と無く繰り返され、

その結果、

家では騒がない
友達を家に泊めてはいけない
婆ちゃんの住んでいる上の部屋ではバタバタしない

といった家訓まで出来上がってしまう始末。

正直、婆ちゃんにいい思い出はあまりない。

婆ちゃんの笑っていた顔を思い出そうとすると、花札で当時、小、中学生だった僕のお小遣いを手加減する事なく全力で奪い取るジャイアニズムに溢れる顔ばかり。

そんな笑顔を見せることすら、365日のうちに消費税くらいの割合で機嫌が悪い日が多かった。

婆ちゃんが臨終の間際には、母が先立った祖父ちゃんの遺影に向かって

「そろそろ迎えに来てあげたら?」

と、何度か呟いたそうだが、その度に婆ちゃん体調は上向いたらしい。
祖父ちゃんの慌てっぷりを感じた。
幽霊はやはり存在するらしい・・・。


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